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質問152 英語を学べば学ぶほど母語である日本語を意識せざるを得ません。と同時に自分の日本語の拙さに溜息をつく事もしばしばです。従って私は常に英語の学習イコール日本語の充実を常に頭に入れながら英語の学習に取り組んでいます。この考え方に間違いはありませんか。最所フミ(故人)先生も日英語表現事典の前書きで母国語の揺るぎない自信こそ何人も奪い取ることの出来ない個人の財産であると述べています。國弘正雄先生も最近の英会話一辺倒の風潮に警鐘をされています。母語を蔑ろにして英語が身に付くわけないとさえおっしゃっています。私は英語に対して真剣に向かい合っているので超一流の国際人の論調は大きな道しるべです。しかし実際は言うが易く行うが難しいです。先生は超級に至るまでやはり母語を視座にして英語と挌闘されてきたと推察しますが母語と日本語との関連性についてご意見をお聞かせください。どんなご意見もためになります。(松戸市・Y.H.)
 ご質問の主旨がよく理解できていないところがありますので、ご質問を
  1. 日本語は美しく洗練された言葉である。そうした日本語そのものに磨きをかけてからでないと英語の学習は意味がない
  2. 英語学習とは和訳(とよばれるこそ行為こそ)がその前提にある。その前提を放棄した英語学習は英語学習というにふさわしくない
という、二つの角度からお答えしたいと思います。

 前者について、日本語はすばらしい言葉です。その日本語が英語に犯されているところが顕著にうかがえる今日この頃です。例をあげれば切りがありません。前者がご質問の主旨であるならば、どうかこの美しい日本語が英語に犯されることのないよう日本語をお守りいただければと思っています。微力ながら、私も日頃からこのことは口やかましく唱えているところでございます。

 ご質問の主旨が後者である場合の回答は次の通りです。これについては、少し長くなるところがありますのでご了承ください。

 「洗練された日本語に置きかえることができてはじめて英語を本当に理解していることがわかる」という主旨の言葉をよく耳にいたします。そういう方々は、そこに価値観をお持ちであるわけですから、認めてあげなければならないと思っています。ただ、この方々は逆の立場をお取りになる方々の価値観を認めていらっしゃるかどうかです。

 あちこちの教育機関では、日本語本位制(?)をお取りになる方々が自らの価値観を押しつけているような風潮があるような気がしてなりません。さらに、そういう方々の日本語をよく吟味させていただきますと、むしろ英語のような coherence をもつ不自然な日本語であることが多く、「変な風潮だな」と常日頃思いつづけているところです。

 不自然な日本語を押しつける方々にかぎって、何か権威的な肩書きをお持ちの方々であるような気がしてなりません。その権威にものをいわせて、むしろ、不自然な日本語を奨励する不思議な教育体制であるような気がしてならないのです。

 小生がもうしあげている「実用英語」とは、均衡のある英語の消費であり生産です。聴いて理解できる能力、読んで理解できる能力、この二つが前者の消費であり、英語を書くことができる能力、話すことができる能力、この二つが後者の生産です。偏(かたよ)ってはなりません。それぞれが「1」であるならば、4つの技能が一つの英語力を構成するのです。いわば、1+1+1+1=になるのが実用英語の世界であることをご確認ください。

 日本語にするという消費を否定しているのではありません。そういう方法で消費するのであれば、自然な日本語にしなさいと日頃から申し上げているところでございます。常識的に考えてみて不自然な日本語はすべて減点の対象にしています。

 4つの技能。それぞれが等しくなるようにお勉強なさってください。上手であるとか、上手でないとかはさほど問題ではありません。相手の気持ちがよく理解できる英語力、自らの気持ちをよく理解していただけるよう伝えることができる英語力。これをめざしておはげみください。

 また何かございましたらお便りください。楽しみにお待ちしております。今回はご質問ありがとうございました。
(西田)
事務局よりちょっと一言
いろいろなご質問を e-mail でお寄せいただきありがとうございます。
学院長は毎日、たくさんの授業を受け持っておりますので、なかなか皆さまのご質問すべてに即お答えする時間がございません。
少しずつではありますが、このコーナーをおかりして回答させていただきますのでご了承ください。
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(日高)